英国5日目。何十年ぶりにパッラーディオのヴィラ・カプラ(ロトンダ)を英国的に翻訳した、バーリントン卿のチズウィック・ハウスを訪ねることにした。
自身のためのヴィラ、チズウィック・ハウスの計画が始まったのは1725年で、第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル(1694‐1753)は29歳だった。
パッラーディオの建築と著作をイギリスに最初にもたらしたのはイニゴ・ジョーンズ(1573-1652)で、パッラーディオと、イニゴ・ジョーンズを1700年代に復興したのがバーリントン卿だ。
チズウィック・ハウスはパラーディオ(1508-1580)のヴィラ・カプラ(ロトンダ)を基本にしているとはいえ、類似点よりも相違点のほうが多い。
パラーディオの別荘は、建築の原型である神殿、神殿の原型であるローマのパンテオンを基本形としている。一方にのみポーティコがあるために生まれたパンテオンの正面性、軸線を無くすために、四方にポーティコを設けて、円形のホールを内包する正方形の建物に、完結した求心性を持たせた。つまりロトンダはパッラーディオが建築の形態に純粋な形を求めた理念としての建築なのだ。ルネサンス建築の最終的な到達点ともいわれる。
それに対してチズウィック・ハウスにはポーティコが一つしかない。パッラーディオみたいに理念が重要だとは、あまり考えていないようだ。それを埋め合わせるように前後2方向の階段は複雑な形をしている。パッラーディオの英国への翻訳を楽しんでいるようだ。
また、細部にはパッラーディオがよく使う他の要素を持ってきて、あえてロトンダとの差異を際立たせているように見える。上の写真の窓、3つのパラディアン・ウインドウ、ドームの下の半円形を3つに割ったディオクレティアヌス窓(浴場窓)など。
チズウィック・ハウスのサイズは、1辺が、68フィート(約20.7m)でロトンダより小さい。それは、ロトンダの1辺68ヴェネツィア尺(約23.6m)を換算せずに、68という数字にあえてこだわって、パッラーディオとの連続性を保ちたかったのではないか、と鈴木博之氏はいう(ジェントルマンの文化)。
68にはこだわったけれど、パッラーディオのロトンダのそのままの写しではないよとゆったりと遊んで、楽しんでいるようだ。バーリントン卿の創意を込めたパッラーディオへの緩いオマージュである。
ポーティコの柱にフルーティング(溝彫り)の施されておらず、ペディメントなどもシンプルな表情のロトンダに比べて、少々装飾がうるさく感じられる。
この面にもパラディアン・ウィンドウ、そして浴場窓、その上、温暖なイタリアには不要だった煙突が堂々現れるなど、この面は面白い表情をしていて、好ましく感じられる。
ランドスケープはウィリアム・ケントの設計で、テンプル、オベリスクなど加えている。運河にかかる橋はワイヤットによる。